2011年を振り返る
筑紫女と別れ、渡辺通りを南へと歩く。
なんだか少しだけ歩きたい気分だった。
筑「今日は相談に乗ってもらってありがとうございました。久しぶりに会えて嬉しかったです。」
家路に帰る途中、筑紫女からメッセージが届く。
彼女は「元セフレ」に大事な事を相談しても良いのだろうか?その感覚がイマイチわからない。
そして彼女は、今後彼氏に着いて東京へ行くの「結婚コース」を選ぶのか?
もしくは福岡に留まることを選択するのだろうか?
どちらにしても筑紫女からすれば、未来を大きく左右する選択になるに違いない。
出会い旅から始まった「女性不信」のリハビリ
2011年・・思えば激動の一年であった。
前半は女性不信で引きこもってた名古屋から九州へと旅立ち。
奇しくも東日本大震災と同日のスタートだった。(元々はリアルタイムで書く予定だったけど途中で自粛)
新しい出会いや懐かしい再会を繰り返して、女性と上手く接することができるようになった。
「心のリハビリ」的な意味合いでも良かったと思う。
たぶんココから⇨これからの俺 修羅の国に福岡に咲く一輪の百合
まさかの福岡へ引っ越し
それから筑紫女に進められ、半ば強引に福岡へと引っ越した。
当時の僕の頭皮状況・・(泣)
住んだ場所は博多区の美野島という下町的な地域。(商店街もあるよ!外人多いよ!)
元々は、短期間住んでいた福岡なので、すんなりと馴染むことができた。
福岡という街は「よそ者」にもとても暖かい。(ちなみに2017年現在も住んでます。)
福岡に来てなんか女モテた
福岡に来て付き合った女性は半年あまりで3人。なんか知らんけど妙にモテた。
福岡という土地柄もあるかもしれない。福岡には若い女性の割合が多いのだ。
女「へえ名古屋から来たと?福岡は女の子が多いからスグに彼女できるばい。」
福岡の女性はこのような事をよく言う。俺が短期間で3人と付き合うことができたのは環境も大きいかもしれない。そういう環境なので出会い系も強い。
とりあえず「彼女になった人」をおさらいしよう。
百合子
最初に付き合うのは筑紫女と見せかけて、百合子氏。
出会い旅で知り合った女性で出会い旅のキッカケ。美人で巨乳で歌と料理が旨い。
だけど筑豊の田川在住のメンヘラ。性的コンプレックスアリ。いろいろあって一瞬で別れる。
メイク前(すっぴん)
メイク後。写メ見るとやっぱりちょっとヤンキーっぽいわ。
魚女
魚女の写メも出てきたから載せときます。左は僕。
次こそは筑紫女と見せかけて魚女。職業は某習い事系の先生をしている。
住んでいる場所や振る舞いなど結構お嬢様っぽいが、少しぶりっ子体質。
料理の腕は超一流。エッチの時の声が大きく、乳首が黒い。
次第に疎遠になっていき、最終的にフラれる。
フラれた理由は「他に好きな人ができた(後に相手が既婚者と判明して発狂)」
衛生女
※衛生女と僕・・オラ意外と痩せてたw
現彼女。2009年からの関係で職業は歯科衛生士。
手先の細かい仕事の割に料理は乱雑。
見た目はボーイッシュ系だけど実はエロい。喋り方や笑い方に特徴あり。でも根はいいヤツ。
セフレ関係を続けていたが、ひょんなことからお付き合いを始める。
筑紫女 (付き合ってないけど)
なんだかんだで一番出番が多かったのが筑紫女だ。
彼女とも2009年からの関係だ。
筑紫野市在住。仕事は大手企業の営業で出張がとても多い。
活発な性格で、未だに俺には敬語を使う「育ちの良い子」である。
英語が堪能で海外が好き。でも料理がとても下手くそ。
一度告白されるが料理が原因で魚女と付き合うことになる。
再会するも胃潰瘍を患い、彼氏との結婚に悩んで激ヤセ中。
筑紫女と沖縄に行った時のヤツが出てきたんで貼ります。オッパイ出そう・・。この頃は健康的だった。
・・とまあこんな感じだ。(写真は転載厳禁でお願いします。)
あの頃の俺はチャラかった・・。
これだけ短期間でコロコロ変わると自分の人格に問題があるか、女性を見る目がないかだ。おそらく前者なのだろう。いや・・どちらもか?
福岡に感謝の念を抱きながら「良いお年を」
翌日、俺はキャリーバッグを引きずりながら、福岡空港をうろちょろしていた。
「明太子・・めんたいこ・・」
実家へのお土産を買って、搭乗口へと入って行く。
さすが年の瀬。飛行機の座席も満席だ。
飛び立つ飛行機の小さな窓から福岡の街の灯りが光り輝く。
2011年もいろいろあったが、結果的に男として「立ち直った」良い一年だった。
とにかく福岡という街には感謝している。
しばしの別れね。「良いお年を」。