「そうか妊娠したのか!でかした!」
俺たちにそんな幸せな光景などなかった。
(大阪子はどう思っているのか?)
元カノから妊娠を聞かされた時は混乱するばかりで、彼女の意見もロクに聞いていなかった。
産みたいのか、中絶するつもりなのか。結婚したいのか、したくないのか。
導き出される結論は決して多くない。そもそも、俺だけで答えを出すなんてできないのだ。
・・・そして審判の日はやってきたのだ。
YUTARO(俺):このブログを書いている人。札幌在住の若ハゲ。カワイイ彼女がいるのに、元カノが妊娠してしまう。
大阪子:YUTAROの元カノ。約一年間の同棲生活の末に破局。現在はすすきのニュークラで働いている。2カ月ぶりに会ったらYUTAROの子を妊娠していた。
赤ちゃんできた!妊娠させてしまった元カノと話し合い。
俺は元カノの住むマンションへ向かっている。いまから二人で話し合いをするためだ。
この2日間まったく眠れなかった。きっと大阪子も同ように悩んでいると思う。
少しでも眠気を抑えるため、途中のコンビニでホットコーヒーを買う。
火傷しそうなほど熱いコーヒーなのに、ぶるぶると震えが止まらない。
大阪子は俺よりも、ずいぶん立派なマンションに住んでいる。エントランスに入り、恐る恐るインターホンを押した。
大「・・いらっしゃい。どうぞ入って。」
スピーカーを通した声は、大阪子のものとは違って聞こえる。
エレベーターの中で階数のカウントアップが始まり、ポーンという音とともに扉が開いた。
内廊下はじゅうたん張りになっていて昼間でも薄暗い。そして、まだ新築の匂いを残している。
廊下を進むと、ドアが少しだけ開いているのに気が付いた。隙間から女がこっちを見ている。
俺は一瞬ギョッとしたが、よく見たらスッピンの大阪子だった。
「これ、あったかいお茶、一応ノンカフェインだから。」
俺はそう言って、大阪子にコンビニ袋ごと手渡す。
大「ありがと。どうぞ上がって。」
かすれた声で大阪子が言う。顔がむくんでいてまぶたも腫れぼったい。
「声がかれてるけど風邪?」
大「うーん・・なんかだるいねん・・。」
「大丈夫?なんなら別の日にしようか?」
大「・・大丈夫。たぶん妊娠の副作用みたいなもんかな。」
「そっか。なるべく早く帰るわ。」
大阪子の部屋はそれほど広くないが、綺麗に片付けられていた。俺の部屋にはない甘く良いにおいがする。
少しの間、二人はソワソワした様子で沈黙していたが、やがて、どちらからともなく話し始めた。
「今日はいい天気」だの、「流行りの芸人が面白くない」だの、当たり障りのない会話で、緊張した空気をほぐそうとする。
「あ・・つわりとか大丈夫?」
俺は少し切り込んだ話をした。様子見のジャブだ。
大「えっと・・ちょっと眠いのとダルいくらいかな。」
「じゃあ、つわりは軽いほうなんかな?」
大「そうかもね。これまで食欲がなかったり、気持ち悪くなったりした事ないし。」
「でも最近よく吐くって・・。」
大「アレはお酒の飲みすぎかも。あはは。」
「てか、夜の仕事は大丈夫なの?」
大「今週は実家に帰るって嘘ついて、お休みもらってる。妊娠したことは、まだお店の誰にも言ってない。」
「そっか・・なんかごめん。」
大「いや・・YUちゃんが謝ることじゃないし。」
彼女の言葉の端々から、俺への気遣いを感じる。妊娠の影響で穏やかな性格になったのかもしれない。
「でもさ、まさか旅行先での一発が当たるとはね。我慢汁でも妊娠するのはホントだったんやな。ハハッ!」
声がうわずって、ミッ〇ーマ〇スのような甲高い声になる。ハハッ!
大「・・え?あの時のエッチで出来たんじゃないよ・・。」
もう妊娠中期。気づかないなんて鈍感すぎる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ・・。どういうこと?いま妊娠何週目なの?」
大「産婦人科の先生は19週目って言ってた。」
「じゅ、19週!?」
なんと元カノは妊娠19週目だった。19週目と言うと、妊娠して約5ヶ月目の終わりだ。
だいたい「10ヶ月と10日(約30週後半)」が妊娠期間とされているので、19週は「妊娠中期」になる。
順調に行けば、あと5ヶ月も経たずに、俺はパパになってしまうのだ。俺たちに残された時間は思った以上に少ない。
(コイツはどれだけ俺を混乱させれば気が済むんだ。)
メダパニがかかりまくって、効きが悪くなっている。
「それで妊娠に気がついたのが、一昨日って・・鈍感すぎるやろ!」
大「わたしもおかしいとは思ってたけど。病院に行くの怖くて・・。」
「妊娠したら生理も来なくなるから、わかるはずでしょ?」
大「生理っぽいのはたまに来てた。今思えば出血してたのかも。」
(ん?ちょ、待てよ?5ヶ月前・・?)
5ヶ月前と言えば、俺が全国を旅していた頃と被っている・・気がする。
俺が家を空けていた約1カ月間、「寂しさから他の男とエッチしちゃった・・」なんてことも充分ありうる。
「本当に俺の子?」なんて聞いてはいけない。
「あの・・一つ聞いていい?お腹の子って本当に俺の子?」
腹の中にしまっていた言葉が、うっかり口から飛び出した。
ゴゴゴゴゴ・・!!
(・・え?なにこの殺気?)
大阪子の目はみるみる釣り上がり、鬼のような形相になっていく。
大「オマエの子に決まっとるやろがい!ゴラァ!」
「ヒエッ!」
大「言って良い事と悪いことがあるぞ!外道ハゲがぁ!」
「は、ハゲ?」
妊娠中はホルモンバランスの乱れで、感情の起伏が激しくなると聞いたことがある。だけど、ここまで大げさに変わるとは。
(ヤバい・・うっかり殺る気スイッチ押しちゃった!)
大「ワシはなぁ!お前としかエッチしとらんわ!」
「・・ワシ?」
大「謝れ!今すぐ謝れ!」
「ひぃぃごめんなさい!・・なんか、妊娠したのが時期的に合わないな・・って思って。」
大「あんたと違ってなぁ!私は浮気なんかせえへんわ!」
(・・過去に2回浮気してるじゃん。)
「でもエッチしてないのに、子供ができるっておかしいよね?・・まさかコウノトリのしわざ?」
大「ハァ!?アホぬかすな!セックスしたやろ!10月の終わりに!」
「・・10月?」
10月と言えば、俺たちがまだ付き合っていた頃だ。彼氏と彼女だった頃だ。
(・・確かに心当たりがある。気がついたら、コイツが俺の上で腰を振っていたことがあった。)
でも、酔っ払っていて、あの時の事はあまり覚えていない。
(中出し・・したっけ?)
俺は記憶の破片を集めようとするが、失われてしまって見つからない。
「ごめん、俺の勘違いかも。」
大「あぁ~!?かんちがい~?」
大阪子の激しい怒りと、鬼のような形相に気圧され、俺にはもう突っ込んだ話ができなかった。
とにかくキレっぷりが怖すぎて、包丁の配置が気になる。
「疑ってごめん!ほら、この通りあやまるから!」
「あんまり怒ると、赤ちゃんにも、オマエの体にも良くないやろ?」
俺は掌を合わせて、必死で許しをこうた。
大「まあ・・わかればええねん。」
鬼だった大阪子は、まるで憑き物が落ちたように、眉毛のないスッピンへと還っていく。
(あれだけ怒るってことは、本当に俺の子なんだろうな。)
疑惑の念は残っていたが、ムリヤリ消してしまう事にした。こ〇されてはかなわない。
堕ろしてはあり?中絶の選択は思ったより厳しい。
大「んで・・どうするん?」
「・・え?」
大「お腹の赤ちゃんどうするん?この子の父親として聞かせて。」
怒りでタガが外れたのか、彼女は剛速球のストレートを放り込んできた。しかも厳しいコースをついてくる。
(・・もしかしてコイツは産むつもりなのか?)
「どうするって・・えーっと・・。堕ろ・・。」
このタイミングで、俺から「堕ろして」なんて言ったら何をされるかわからない。俺は生きて帰りたい。
大「ほら、これ見て!」
そう言って、彼女はテーブルの上に何かを置いた。チェキカメラから出てきたような小さな写真だった。
「これは?」
大「赤ちゃんのエコー写真!」
俺はその写真をまじまじと見た。まだ「人」とは言えない形の「なにか」が写っている。
「・・あわわ。」
大「もう赤ちゃん大きくなってるから、もし中絶するなら大きな手術しないとダメなの。」
大阪子はどんな中絶手術をするか、詳しく教えてくれた。(グロなので内容は省略)
「・・あわあわ・・。」
大「母体にもすごい負担かかるし危険なんやって。もしかしたら、子供が産めない体になるかもしれない。」
「・・泡泡泡・・。」
大「それに、この時期に赤ちゃん堕ろしたら、死亡届も出さなきゃならないの。」
「うそ・・マジで?」
大「うん、マジよ。二人で赤ちゃんをこ○したって、証拠が残るの・・。」
大「私、赤ちゃんこ○したくない・・私は産みたい。」
そう言うと、大阪子は大きな声をあげて泣き出した。
これまで気丈に振舞っていたに違いない。相談する相手もいないまま、いろんな問題をたった一人で抱えて。悩んで。
(しっかりしろ!これ以上、情けない姿を見せちゃいけない。)
泣きじゃくる彼女を見て、俺はふと我にかえるのだった。
ロマンティックなプロポーズ。現実は思ってたのと違った。
二人は湖沿いのレストランにいた。白く清潔なテーブルクロス。二つのシャンパングラスには黄金色の液体が輝いている。
ボクの正面には、美しいドレスに着飾った女性が座っている。二人は談笑をしながら、フレンチに舌鼓を打った。
窓から見える夕日が、湖面をキラキラと照らしている。
「素敵な夕焼けね・・きっと、おひさまと湖がダンスしているのね。」
彼女はうっとりとした表情を浮かべて呟いた。
「フッ‥この湖もキミの美しさに比べたらドブさ。」
ボクは、彼女の濡れる瞳に見惚れていた。
いつの間にか日は落ちて、湖が見えなくなっていることに気がついた。いけない。彼女に夢中になっていたせいだ。
「もう、そろそろかな・・」
ボクは腕時計に目をやる。祖父からパパへ、パパからボクへと受け継がれてきた古い腕時計。今日もボクを見守ってくれる。
「ほら、窓の外を見てごらん。」
そう言って、ボクは彼女に目配せをする。
女「暗くてなにも見えないわ。」
「いいから・・見ていて。」
「ドン」という音を合図に、大輪の花々が湖上に咲き乱れる。
女「まぁ綺麗。でもどうして?今日はお誕生日でもクリスマスでもないのに。」
「今日が二人の記念日になるんだ。これからずっとね・・。」
女「えっ・・。」
「スグに消えてしまう花火じゃ物足りないんだ。これからボクの毎日に、君という花を咲かせてくれないか?ずっとそばで。」
女「それって・・まさか。」
「アイラビュー。ぷりーずマリミー。」
彼女は目を潤ませながら、口元を抑えている。
そして、小さな声で「YES」と言った。
・・・
・・・・・
「・・ぷ、ぷ、プリーズマリミー・・。」
大「はぁ?急に何を言っとんねん。」
ボクは・・いや俺は現実に引き戻される。
俺の目の前には、ドレスで着飾った美女ではなく、スッピンで眉毛のない女がいた。しかも妊娠19週目だ。
結婚か。それ以外か。結局、この二択しかない。だけどそれは究極の選択だ。
「わかった・・結婚しよう。」
大「・・本当?」
そう呟くと、彼女は再び泣き出した。
出会った頃は美人だと思ったが、なぜか今はとてもブサイクに見える。
この世界では、毎日たくさんのカップルが結婚していく。
だけど、全てのプロポーズが、甘くロマンティックな訳ではないのだ。
元カノと「できちゃった婚」することになっちゃった。
しばらくして泣き声が止んだ。だけど、彼女はまだしゃっくりのような嗚咽を繰り返している。
大「・・できちゃった婚でも良いの?」
真っ赤な目をして大阪子は言う。まぶたは殴られたように腫れていた。
「うん、腹をくくった!責任取らせていただきます。」
俺はハッとした。最悪のセリフ、最悪のプロポーズだ。
これでは「責任感」だけで、結婚するように聞こえてしまう。
「大阪子は俺でいいの?・・頼りないだろ?」
取り繕うように彼女に問う。
大「うん。YUちゃんならいいよ。気楽だし・・。」
「そっか、俺の前ならオナラもやりたい放題だもんね。」
大「それに・・私とYUちゃんの赤ちゃんが、お腹の中にいるってわかった時、産みたいって思ったの。」
大阪子からその言葉を聞いた時、俺は「堕ろす」という選択肢も考えていた自分を恥じた。
「あの・・俺、貯金があんまりないから、すぐに結婚式は挙げられないよ。」
大「うん・・知ってる。」
「し、指輪も安いのしか買えないけど・・いいかな?」
大「うん・・かまへんよ。」
「出産まであまり時間も無いし、これからどうやって生活するか、二人で考えないとだな。」
大「・・うん。」
「とにかくこれから忙しくなるな。」
大「うん・・一緒に子育て頑張ろうね!夫婦としても仲良くやろうね!」
「・・お、おう!」
あれ?なんだろう?肩のあたりがズシンと重くなった気がする。
大「今日はちゃんと話し合えてよかった。私・・本当に悩んで悩んで・・。」
そう言うと、大阪子はまた大粒の涙を流し始めた。俺は彼女の横に座り背中をさすった。その涙が止まるまで。
こうして俺と大阪子の話し合いは終わった。
短くも濃い時間だった。精神が擦り切れそうな時間だった。きっと3年は寿命が縮んだと思う。
「まさか元カノが嫁になるとは・・。しかも俺はパパになるのか・・。」
予想外。不本意。口惜しい。
俺の中でいろんな感情があふれてくる。これもすべて自業自得だ。
俺の目に涙が貯まっていく。誰にも見られないように、明かりのない暗いクライ道を選んで歩こう。