もうすぐ4月がやってくる。道路の端に積まれていた雪もずいぶん減り、札幌の遅い春がすぐそこまで来ている。
俺は携帯を取り出しアドレス帳を開いた。そしてある人物に電話をかけた。
「もしもし?」
電話の相手は俺の元カノだった・・。
今となってはこの行動を止めておけば良かったと思っている。できるなら過去の自分を全力でぶん殴りたい。
YUTARO(俺):このブログを書いている人。名古屋出身、札幌在住の若ハゲ。カワイイ彼女がいるのに元カノに連絡をしてしまうアホ。
大阪子:YUTAROの元カノ。元々は大阪でキャバ嬢をしていた。約一年、同棲生活を送るが破局。現在はすすきのニュークラで働いている。
大阪子と最後に会ったのは2カ月前に一緒に温泉に行った時以来だ。俺達はその時にセックスをしてしまっている。しかも俺に新しい彼女ができたばかりの頃だった。
俺はあの時してしまった「浮気」を後悔している。もう同じ過ちを犯すことはできない。
特に大阪子のようなタイプの女はヤバい。俺と付き合う前は、勤務先のキャバクラの店長と不倫をしていた女だ。
コイツとは友達として関係を継続するのも危険すぎる。
俺ももうすぐ30代になる。今の彼女(タヌキ女)との結婚も考えている。
だから二か月の間、元カノに連絡することはほとんどなかった。
(だのに・・だのに・・なんで連絡しちゃったんだ!)
俺は自分がわからない。でも、クズだと言うことはわかってる。
元カノに連絡を取ってしまうアホ男の心理。
少し冷静になろう。元カノに連絡を取ってしまったアホの心理をまとめよう。
(俺は元カノとヨリを戻したいのか?)
未練などこれっぽっちも残っていない。俺には愛すべき彼女がいるのだ。今の幸せを放棄する理由はない。
むしろ元カノとヨリを戻すことで、大きな不幸が待っている気がする。
(元カノとセックスがしたいのか?)
これまでセックスがしたくて元カノに連絡をしたこともあった。元カノがセフレになちゃったこともあった。
確かに大阪子とは体の相性も良い。今の彼女には無い「にじみ出るエロス」がある。
でも、今回は違う。違うと信じたい。
(じゃあ元カノの近況が気になるのか?)
そうか、俺の場合はこの理由だ。
大阪子を地元の大阪から札幌に呼んだあげく、別れを理由に、彼女をこの慣れない街に放り出してしまった。(文章に起こすとクズ感すごい。)
きっとその責任を感じているのだ。
「野垂れ死にしてないかな?うっかりソープに沈められてないかな?」
そう頭の片隅でいつも心配していた。
連絡のきっかけは胃痛。
最近、俺は胃を壊した。結果的にこれが元カノと連絡を取るきっかけになってしまった。
「ここ最近、胃痛が酷くてさ、大阪子も仕事でたくさん酒飲むやろ?だから体には気を付けろよ。」
そう軽い気持ちでメールしてしまった。ロクでもないお節介野郎である。
スルーされると思ったが、意外にも返事が返ってきた。
大「私もお酒と仕事のストレスで体調ヤバいねん。最近、妙に具合悪い時があるし・・よく吐くねん。」
大阪子からのメッセージは、俺の後ろめたさをピンポイントで刺激した。さすがニュークラ嬢だ。
ただ、金銭的な面では不自由していないようで、俺は少しだけホッとした。
ということで、俺はここ2週間、彼女に隠れて元カノと連絡を取っている。
俺は元カノに会うことにした。
「明日、何時に待ち合わせする?」
大「午前8時半にバスセンター前駅に来てくれる?」
「ちゃんと起きろよ。今日は夜飯もお酒も禁止だから。」
大「わかった。」
「それとマンションのポストに、病院から届いた人間ドックの案内も入れといたから。」
大「ありがと。」
「検便の容器にウンコも入れといてね。」
大「・・がんばる。」
大阪子との電話が切れる。
会うのはこれが最後。
明日、俺は元カノと人間ドックにいく。
おたがい酒が好きだしタバコもやる。不規則な生活習慣で、体にガタがきているのは間違いない。
だから、これはデートでも浮気でもない。
そして、この危なっかしい女に会うのは、これで最後にしようと思っている。
「よし、もう一度復唱だ。」
これはデートでも、浮気でもない。そして、元カノに会うのは、明日が最後だ。
自分に言い聞かせるように、何度も言葉を唱えると、俺は眠りについた。
朝が来た。緊張で寝れないと思っていたが、意外にも熟睡してしまった。
テレビでニュースをチェックした後、シャワーを浴びて出かける準備をする。
病院から届いた「人間ドックのご案内」にもう一度目を通し、検便の入った袋をバックの中に入れ、家を出る。
「おはよう!今から迎えに行くから準備しとくんやで。」
そう大阪子にメールする。・・しかし、返事は返ってこなかった。
(ウンコが出ないのかな・・。)
大通駅に到着すると、朝のラッシュで行きかう人を交わしながら、地下連絡路をバスセンター前駅までを歩く。
携帯を何度もチェックするが、大阪子から返事はまだ来ていない。
「くそっ!あいつまだ寝てやがるな!」
俺は大阪子の住むマンションへ迎えに行くことにした。
元カノは来なかった。しかも音信不通になる。
(これ・・ちょっとマズいんじゃね?)
連絡手段をメールから電話に切り替える。
「ただいま電話に出ることが・・」
このアナウンスを聞くのも10度目。留守電にメッセージを入れるのは5度目だ。
そうこうしているうちに、俺は大阪子のマンションに着いてしまった。インターホンを鳴らすが、反応がない。
(もういい・・あきらめた。)
大阪子にとって俺は「ドタキャンしちゃっていい男」になったのかもしれない。
むしろ、このくらい冷たい対応をされたほうが、いさぎよく縁を切ることができる。
(し、深呼吸だ。検査の前にストレスをためるのは良くない。)
俺は気を取り直して、一人で病院へと向かった。
人生で初めての人間ドッグを受けるのは、最王手鉄道会社「JR」の名前が入った大きな病院だ。
病院内に入ると、消毒液の臭いが鼻をつく。俺は子供の頃、とある病気で長期間入院していた事がある。
おかげで病院の臭いは苦手だ。ある種のトラウマなのかもしれない。
まだ早い時間なのに、待合所にはたくさんの人がイスに腰掛けていた。6割くらいはお年寄りだろうか?
(・・あいつ病院に来ているかも。)
そう思って、周囲を見渡すが、やはり大阪子の姿はなかった。俺は重い足取りで、受付へ向かう。
「・・人間ドックの予約をしたYUTAROと申しますが・・。」
受付「お二人で予約されているようなんですが。お連れ様は?」
「もっ、もっ申し訳ないです!たぶん風邪・・引いてます。いや、インフルエンザっぽいみたいで。」
苦手な病院で、俺は完全なコミュ障だった。
受付「大丈夫ですよ。では、今回はYUTAROさんだけ検査されるということですね。」
「はい・・。」
キャンセルしてもらえた・・不幸中の幸いだ。
受付で今朝絞り出したばかりの、新鮮なウンコを手渡し、検査用の衣装に着替える。
———数時間後
先生「あなた肺年齢が60代のおじいちゃんですね。」
「おじいちゃん!?・・マジですか?」
先生「これを期に禁煙してみませんか?」
最後に女医さんによる問診を受ける。AVと違ってエロいシチュエーションは無かった。現実とはそういうものだ。
こうして、一人ぼっちの人間ドックは無事終わった。
(・・さっそく禁煙ガムを買いにいこう。)
気が付けばローソンの前で、俺は白い煙を吐き出していた。
(・・先生ゴメン・・。)
そして、二本目のタバコに火を付けようとした時、コートの中で携帯がバイブした。
手に取って画面を見ると、「大阪子」と表示されている。
(いまさら電話かけてくるって・・コイツどういうつもりだ?)
俺の中で、怒りがふつふつとこみ上げてくる。
「・・もしもし?」
大「YUちゃん?あの・・行かなくてごめんなさい。」
「マンションにも迎えに行ったんやぞ!寝とったとは言わせんぞ!」
大「ごめんなさい・・実は・・。」
「実はもクソもあるか!おまえは週〇実話か?」
大「・・理由があるんです。」
「ほほう・・その理由とやら・・聞かせてもらおうじゃねえか!」
大「・・・」
(そろそろだ・・逆ギレするぞコイツ。)
この女は怒られると、どんなに自分に非があっても、逆ギレをかましてくる。
同棲していた頃、大阪子が朝帰りをしたことがあった。
俺が朝帰りを咎めたら、なぜかTVを壊そうとした実績がある。
(さあ、キレろ!その時が俺達の終焉だ!グッバイビッチ!)
良い形でフェードアウトするつもりだったが、この際ケンカ別れでも構わない。俺はさらにキツい言葉で畳みかける。
大「どうしてもいけなかったの。ワケがあるの。」
「だ・か・ら!そのワケを言えよ!」
それでも、大阪子はキレなかった。
(もう、キレてくれよ。これじゃあ俺が悪者みたいじゃないか・・。)
大「・・電話よりも直接会って話したい。」
「・・え?」
大「・・今日、YUちゃん家に行ってもいい?」
「え?まあ、うん。」
大「じゃあ、夕方頃に行くね・・また後でね。」
思わせぶりな言葉たち。いつもは関西弁なのに標準語だった。
(なんか、すごく嫌な予感がするんですけど・・。)
胸騒ぎが止まらない。タバコの火がジリジリと指へと近づいてくる。
(金の無心?男に騙されたのか?)
でもそれは音信不通の理由にはならない。
(あの女の事だ。もっとヤバいものを持ってくるに違いない。)
すっぽかしを食らった怒りより、不安が大きくなっていく。
俺は身動きがとれず、その場に立ち尽くしていた。
予想外のとんでもなくヤバい展開。
・・・プルルル!プルルル!
携帯の着信音に、俺は夢の世界から引き戻される。
「は、はひ・・もひもひ?」
乾いた口から出た声は、驚くほど酷くかすれていた。
大「もうすぐお家に着くけど大丈夫?」
「お・・おう。」
大「・・なんか飲み物いる?」
「じゃあコーラ。」
(さあクソ女が来るぞ!のろしを上げろ!)
俺は洗面所に立ち、水でジャブジャブと顔を洗う。3月とはいえ北国の冷水は鼓膜もしびれる冷たさだ。
気合いを入れ終え、俺は玄関で元カノを待ち構える。
やがてカツカツとヒールを鳴らす音が、ドアの向こうから近づいてくる。そして部屋の前で止んだ。
インターホンが押される前にドアを開ける。
大「わっ!ビックリした!」
元カノは目をパチクリさせている。奇襲成功だ。とにかく二ヶ月ぶりの再会である。
大「はい、コーラ。」
「お、おう。」
俺は無愛想にコーラを受け取ると、「上がって」と彼女を部屋の中へうながす。
怒りはほとんど収まっていたが、まだ許したわけじゃない。俺は褐色の液体を勢いよく喉の奥へ流し込んだ。
大「お邪魔します。」
そう言って大阪子が部屋へ入ってくる。
ほぼ同時に、俺の口から大きなゲップが飛び出した。これは彼女に対する牽制だ。
大「・・座ってもいい?」
テーブルをはさんで俺も座る。
殺伐とした空気の中、沈黙が始まった。
テーブルの上にコーラのペットボトルが直立している。俺たちは少しの間。それを見つめていた。
大「怒ってる・・よね?」
彼女は申し訳なさそうに呟いた。何かに怯えるような表情をしている。
「まあね・・。」
俺はあえて不機嫌な顔をして返す。
大「今日はすっぽかして、本当にごめんなさい。」
一旦収まったはずの怒りが、再びこみ上げる。
さすが、人間の四大感情の一つ。なかなかに厄介だ。
「いやいや・・大人としてどうなのよ。連絡くらいしろよ。」
怒鳴ってしまえば抑えが効かなくなる。だから淡々と小分けにして出していく。
大「キャンセル料は払います。いくら出せばいい?」
「寝坊したんだから仕方ないやろ!」「二日酔いやってん!」
大阪子からいつも通りの言い訳が出てくるかと思っていた。俺は驚きを隠せない。
(これは何色?もしかして・・反省の色?)
「いや・・キャンセル料はかからんかったけど・・。」
大「そっか、よかった。」
「よかったじゃねーよ・・。」
大「ごめんなさい。」
「んで話ってなんなの?忙しいから手短に頼むわ。」
俺は冷たい口調で言う。そして残りのコーラを口に含んだ。
この重苦しい空間は居心地が悪すぎる。早めにお開きにしたい。
その後、大阪子の連絡先をアドレス帳から消せば、二人繋がりは消えるのだ。
大「たぶんビックリすると思う。だから・・落ち着いて聞いてね。」
「何を言う、俺はずっと落ち着いている。」
大「あのね。私、妊娠しちゃった・・。」
目の前をコーラが放射状に飛び散っていく。
今日、俺はこの元カノとの関係を終わりにするつもりだった。もう、会わないつもりだった。
連絡なんてするんじゃなかった。関係を絶っておくべきだった。
そうすれば今カノとの幸せな日々が続くはずだったのだ。ずっと。
思い描いていた未来は音を立てて崩れていく。そして、悲劇の連鎖はこの日から始まるのだ。