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これからの俺 修羅の国に福岡に咲く一輪の百合

「出産&結婚騒動」後の俺。

「生きてても・・きっと良い事ない・・。俺なんてダメだわ・・。」

あの妊娠&結婚騒動の後、しばらくはショックで俺の精神は病んでいたと思う。

大阪子が「土下座をした玄関」を見ると、あの頃の気持ちが蘇って、気分が悪くなった。

とにかくあまり眠れず、寝汗をかき、心臓は常に高鳴っていた気がする。

 

親に「結婚しなかった理由」を打ち明けたのも10月に入ってからだ。これが一番堪えた。

ロクに大阪子とのことを話さない息子に対して、オカンはどう思っていただろうか?

俺は、きちんと答えが出るまで、結婚に関しても、出産に関しても「生返事」で返していた。

きっとオカンも、もどかしい気持ちを抱いていたに違いない。だから親に会って話すべきだと思った。

久しぶりに会った両親は「二人」から「一人」になっているにもかかわらず。俺に突っ込んだ話はしなかった。

さすがに全ての真実を打ち明けるのはショックが大きいと思ったので「なんか彼女が妊娠してたとか勘違いしてたみたい・・アハハ」的な感じで伝えておいた。

きっとそんな話、信じてはいないと思う。エコー写真も見ているし、愚息の嘘なんて小さな頃からお見通しなのだ。

それでも、両親は黙ってそれを受け入れた。

両親にそれを伝えてからスッと気が楽になった。毒はいつまでも体の中に溜め込んではいけない。

そして自らの「被害妄想」に毒されていることに気がついた。

一つずつ自分の置かれている状況を確かめていく。

・・周りの誰も俺を馬鹿になどしていなかった。

今回の件で失ったものは多かったかもしれない。・・だが俺は「自由」だった。

 

YUTAROが出会い系を再会したのは10月の半ばだった。「プチ引退」をして実に半年以上がたっていた。

それからリハビリを兼ねてたくさんの女性と会った。

まだ「女は信用ならない」という恐怖もあってリハビリには苦戦した。

 

・・女性の目をみて話せない。

 

そのせいか、ぞんざいに扱った女性もいた。失敗を重ねていく。

以前の俺はもういなかった。・・たが、リハビリを重ね、少しずつ・・着実に回復していった。

女性との接し方もなんとか「今までどおり」にできるようになった。

・・だがやっぱり「彼女」を作る気にはなれなかった。

心のどこかで女性と深く関わることを拒否している。

 

修羅の国に咲く一輪の百合

そんな折、いつもどおりラブサーチをポチポチしていると一人の女性と知り合った。

「修羅の国」と恐れられる福岡県。そしてさらに強力な修羅達だけが、しのぎを削る筑豊という地域の「タッガーワ」。彼女はそこに住んでいた。名産品はチ○ルチョコである。

syura01ここでは、男子には12歳から15歳までの間に100回の死闘を行う通過儀礼が義務付けられており、このため「男子の生存率は1%」。(嘘です)

そんな環境のせいか、彼女からもらった「写メ」は、まだ21歳ながらも大人びており、引き締まっていた。

彼女は・・「美女」であった。

でも・・なんだろう・・少しだけヤンキー臭がした。

彼女はまさに修羅の国に咲く一輪の百合であった。

百合の花言葉は「純粋」「無垢」「威厳」である。まさに彼女にぴったりだ。

だから百合子と名付けたいと思う。(なんか普通になっちゃった)

百合子のスペックは

  • 年:21歳
  • 乳:Fカップ
  • 身長:164cm
  • かわいいよりも綺麗

そんな彼女とやりとりするうちに「二人の愛」は育まれていった。・・少しずつ。

クリスマスには彼女の「ゴスペル」を電話越しで聞き、バレンタインデーには彼女手作りのチョコを「クール宅急便」で送ってくれた。

YUTAROの氷ついた心は彼女のプラトニックな愛によって少しずつ溶かされていったわけである。

なんかもう「俺たち付き合っちゃう?」的な雰囲気になっていた。

 

・・そして彼女とメールを開始して4ヶ月が過ぎようとしていた。

百合子に会いに名古屋を発つ・・「修羅の国」福岡へ

2011年3月。いよいよ百合子に会うべく・・そしてその道中の出会いを楽しむべく・・。俺は着々と出会い旅の準備を進めていた。

大阪子との波乱でやせ細った体もそれ以前くらいまで回復(リバウンド)してきた。

「女の子といっぱい知り合えるかな~♪(´∀`*)ウフフ」

「クズの思考」もうっすらと芽生え初めている。

午後3時。YUTAROは愛車と共に家を出た。

その時には既に日本が大惨事に見舞われていることも知らずに。

続く➡3月11日東日本大震災が日本を襲った日。俺は呑気だった。